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危険と背中合わせの支援活動

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全ての災害において、救援チームにも危険はつきものです。中東では、戦時にはOBIチームは不発弾の危険に晒されながら作業をしました。2008年の中国での地震の後には、液状化で発生した「地震湖」の危険性があり、災害地区が水没する怖れがありました。また多くの場所では、コレラなどの疾病の脅威が支援にやって来た援助ワーカーの命を危険にさらす場合があります。私はこれまでに多くの災害の現場で作業をし、何度も危険な状況に遭遇してきましたが、今日本で経験している災害ほど恐ろしいものはありませんでした。核汚染の脅威は日本の国民に大きな恐怖感を与えています。放射線は目に見えない殺人鬼ですが、実際の状況に関する相反する報告が錯乱する中、私が見た事のないような集団ヒステリーが起こっています。

東京はその人であふれた通りとネオンの看板で有名な都市ですが、昨日はまるでゴーストタウンの様で、計画停電により一部の地域は闇の中に静まりかえっていました。町中にいる数少ない人々は物資を探すために急ぎ足でしたが、昨日の朝の時点でほとんどの食糧物資が既に品切れでした。幸い物資がなくなる前にオペレーション・ブレッシングは量販店から大量の食料と水を確保する事ができました。私たちは追加の物資を探すためにスーパーマーケットに行きましたが、どこも棚は空でした。栄養価のあるものは売れ切れていました。ある年配の女性は空っぽのパン売り場の横をカートを押しながらゆっくり歩いていました。彼女のカートの中にあったのはキャンディーといくつかの米のスナックだけでした。

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人々は、原発のメルトダウン後に自宅に閉じ込められる事態を怖れ、入手できるものは全て買い占めています。こういった物資の買いだめは理解できますが、しかし東北で物資があまりにも不足しているため、政府は東京の住民に買い占めをしないように呼びかけています。ガソリンを買うために並んでいる車の列は恐ろしいほど長く、燃料はなかなか入手できません。私たちのガソリン・タンクもほとんど空っぽの状態だったので、私は缶を持ってガソリン・ステーションに歩いていき、売ってくれと頼みこみました。店員から何度も断られましたことが、私はしつこくお願いし、ついに店員はあきらめてガソリンを売ってくれました。OBIの拠点がない国では、私たちは援助活動の手助けをしてくれる「フィクサー(仲介人)」を探すために、戦略的パートナーや窓口となる人のネットワークに依存しています。今回私は幸運にも、日本で育ち日本人のように日本語を話すドン・トムソンを紹介してもらいました。私はドンが東京の迷路のようなびっくりするほど狭い路地を運転する彼の能力に驚嘆しました。「東京は、万が一外国の軍隊が侵略してきて皇居を目指しても迷う様に道路網が設計されているらしいよ。」狭い側道でワゴン車をゆっくり走らせながらドンは私にそう説明しました。

私は午前5時過ぎもこのブログを書いています。午前4時に強い余震で目が覚めました。余震は少なくとも3時間おきに起きているようで、その間に数多くの微震が発生しています。私たちは仙台を離れ、さらに北の津波で破壊された町に行く準備をしています。今、数十万人の人々が家を追われ避難所で生活しています。後数時間で、オペレーション・ブレッシングは、地元の教会のボランティアと協力しながら、この震災の多くの犠牲者に不可欠な救援物資を届けます。私たちの安全のため、そして精力的に活動が出来るよう続けてお祈り下さい。
この災害の状況が明らかになるにつれ、私たちは、世界が日本の事を思い、救援活動をサポートしてくれることがどれだけ重要かを認識し始めています。

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