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【ウクライナ支援】侵攻から1年~国境からわずか30km、ウクライナ東部ドネツク州でのストーブ支援

ロシア軍によるウクライナ侵攻から1年が経ちます。たくさんの温かいご支援により、ウクライナ国内外での支援活動を継続できておりますこと、心より感謝申し上げます。
極寒の冬を過ごしているウクライナ東部でのストーブ支援について、2つのストーリーとともにご紹介いたします。

オペレーション・ブレッシング・ジャパンでは、パートナーであるウクライナのエマニュエルチャリティー協会とともに、ジャパン・プラットフォームの助成により、ウクライナ東部のロシア国境から約30kmのドネツク州トレツク地域の78世帯に固形燃料ストーブと固形燃料を提供しました。

ウクライナ ストーブ支援

今回支援したのは、経済的理由、健康状態や障害、年齢などの理由で避難できない人たちが中心となった家族です。この地域の7割以上はすでに国内またはウクライナ国外の安全な地域へ避難していました。

ウクライナの冬は氷点下の厳しさで、インフラ被害による長期停電、ガスシステムの破損の中、一人でも多くの人を救うために、このプロジェクトでは、暖を取りながら調理ができる固形燃料ストーブと固形燃料を提供しました。

ウクライナ ストーブ支援

しかし、このプロジェクトは簡単なものではありませんでした。継続的な砲撃やインフラ被害に加えて、この町はロシア国境に近いため、倉庫から配達先の村までの間にウクライナ軍の検問所が多数存在していました。そのため、大型トラックでの配送は危険なので、スタッフはミニバンで2トンの燃料とストーブを1台ずつ積んで、1世帯ずつ配送することを余儀なくされました。

アパートが破壊され、息子の家に一人取り残されたGalyna

73歳のGalyna(ガリーナ)は、戦災を受けたトレツク地区の村に住むことを余儀なくされ、長い間、凍えるような寒さに悩まされていました。ガリーナは、子供たちの酪農の台所で生涯熱心に働き、自分の家で穏やかな老後を迎えることを望んでいました。ところが、平穏な日々どころか、定期的な爆撃の恐怖にさらされ、冬は暖を取ることもままならない日々が続いたのです。さらにガリーナのアパートも爆撃で破壊され、住居を追われるはめになってしまいました。息子が幼い子どもを連れて比較的安全なドニプロ市に避難していたため、やむなくその地域の息子の家に移り住んだガリーナは一人残され、戦争とひどい霜のために、冬を生き延びられるとは思えなくなったと言います。

ウクライナストーブ支援 ガリーナ

ありがたいことに、オペレーション・ブレッシングが彼女の人生に現れ、ジャパン・プラットフォームが提供する資金援助のおかげで、冬に暖をとることができるという素晴らしい知らせを受けました。遠く離れた日本の名も知らない人々のおかげで、ガリーナは固形燃料ストーブと2トンの固形燃料練炭を受け取り、この支援によって、彼女はようやく温かさを保つことができるようになりました。

ウクライナ ストーブ支援

ガリーナは言います。
「ロシア軍が戦車、ミサイル、飛行機などあらゆる武器で我々を破壊し始めたとき、私たちが持っていたガス暖房の希望は完全になくなりました。ここで暮らす私たちにとって、暖房はメインの問題ではありません。空襲で生き残るチャンスは、時にはゼロに近い。暖房器具を全部作り直さなければなりませんが、戦争中ではそんなお金も力もありません。食料を買うお金さえないこともあります。

軍民管理局から電話がかかってきて、日本から来た人が遠い村の私たちのことを心配してくれていると聞いたときは、正直言って信じられませんでした。『ウクライナの役人ですら、私たちのことを気にかけてくれないことがあるのに、どうして日本の人たちが私たちの村のことを気にかけてくれるのだろう。この戦争では、私たちは自分たちだけしかいない。戦火にさらされ続けている私たちの村に、誰がストーブや固形燃料を持ってくるというのだろう?』と。しかし、神に感謝します。私にとってはそれが真実であることがわかり、皆さんのおかげでようやく暖をとることができるようになりました。

燃料とストーブを寄付していただき、本当にありがとうございました。そして、神様が日本を戦争から守ってくださるようお願いします。死ぬまで祈り続けます。」

飢えと寒さから2人の子どもを守りながら戦い続けているYana

戦争の影響が色濃く残るトレスク村に住んでいるYana(ヤナ)は、薪や食料を集めるのに精一杯で、夕方になると疲れきってしまいます。彼女には、飢えと寒さから2人の子供を守りながら生きていかなければならないという個人的な戦いがあります。

ウクライナ ストーブ支援

「ロシア軍がウクライナに侵攻したとき、まるで誰かが私たちの現実の生活を保留にして、絶望と飢えで死なないように、時折、わずかな支援を与えてくれたような気がしました。かつての私たちのアパートはセントラルヒーティングで、財布には十分なお金が入っていましたが、本格的な侵攻により、企業は立ち退き、私は職を失い、完全な貧困に陥ったのです。

子ども2人を抱えて、激しい砲撃や空爆にさらされ続けるのは、確かにとても怖いです。しかし、私たちに選択肢はありません。ウクライナの平和な地域に、私たちを受け入れてくれる親戚はいません。誰かの負担になりながら、世界中を放浪し、難民キャンプで生活することもできません。

夏は太陽の暖かさと庭のベリーや野菜で生きていけます。しかし冬になると、私たちは生きる希望が持てなくなりました。冬の前半は、平和に暮らしていた頃のわずかな貯金をはたいて、燃料を買い、なんとか暖をとっていました。1月以降は、固形燃料を買うお金も稼ぐチャンスもなく、正直言って「もうダメだ」と思うようになりました。

ストーブ支援

そんな私たちを救ってくれたのが、オペレーション・ブレッシングという団体です。私たちの村が人里離れた場所にあり、このような人災に見舞われていることをどのようにして知ったのかさえ分かりません。そして、ジャパン・プラットフォームが提供する高品質の固形燃料ストーブと、たくさんの練炭を私たちに与えてくれました。私たちは、このような重要な支援を無償で受けたことが信じられませんでした。これで確実に暖を取り、生きていくことができます。

私たちが生きている限り、遠く離れた日本の皆様の寛大で懸命な手と、素晴らしい心の温かさが、砲撃下にあるウクライナの村でも感じられることに感謝します。

皆さんがいる限り、私たちは生き延びることができます。生きている限り、皆さんのために祈り続けます!ありがとうございました!」
ヤナさんは涙ながらに語りました。

(取材:アンナ・チャバン)


オペレーション・ブレッシングでは近隣国に倉庫を設置し、定期的にウクライナ国内へ物資を配送し支援を続けています。日本からもたくさんのカイロが届いており、近々レポートをお届けする予定です。
2年目に突入したウクライナの苦難に希望の光を届け続けてまいります。
皆様の思いやりに富んだご支援とお祈りを引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

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