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“わかろうとする”が人を楽にする――日本のスピリチュアルケアを切り拓いた先生ご夫妻に聞く

2025年9月、日本にターミナルケアを導入した第一人者であり、長年にわたり精神科医としてご尽力された柏木哲夫先生にお話を伺いました。
先生が、ご自身の信仰を基盤に置きながら、末期患者の「四つの痛み」の一つとして知られる霊的痛み(スピリチュアルペイン)へのケアを日本でどのように実践してきたかについて、貴重なお話を聞かせてくださいました。
インタビューには、傍らで温かく支えておられる奥様の道子先生にもご同席いただき、ご夫婦で和やかに語ってくださいました。

インタビュー
柏木哲夫氏 内科医・精神科医
1965年大阪大学医学部卒。精神科医として阪大病院勤務。ワシントン大学精神科へ留学し、アメリカ精神医学の研修を積む。帰国後、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設し、日本で初めてのホスピスプログラムをスタート。1984年にホスピス開設。
2013年9月より淀川キリスト教病院理事長。
現在、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長、大阪大学名誉教授、ホスピス財団理事長。著書多数。
柏木道子氏
1963年大阪大学文学部卒業。元大阪キリスト教短期大学学長。

※日本メノナイト・ブレザレン教団石橋キリスト教会会員

インタビュアー OBJこころの相談室カウンセラー 
臨床心理士 髙橋恵子 https://objapan.org/counseling/

クリスチャンでもある柏木先生※がスピリチュアルケアを日本に取り入れたきっかけはどのような経緯だったのでしょうか。

柏木先生:留学をして、アメリカ人の末期の患者さんをチームで診るという、そういうところへ身を置いたので、ごくごく自然にこういうことが大切なんだなっていうことが身をもって体験できたんですね。教科書があったわけじゃないし、特別何かで勉強したわけじゃなくて、日常生活の中にそういうプログラムが、スッと自然に組み入れられていたので、ああ、こういうことが大切なんだなっていうことがわかったんです。 それからチームで関わっていて、明らかに患者さんが変わっていくわけですよ。辛い気持ちをわかってもらうことで楽になるんですね。楽になったということがこちらに伝わる。薬で言えば、「あ、効いた!」という感じがあるので、ああ、これが大切なんだっていうことですね。


それで、それを日本でもやろうと思われたのですね。

柏木先生:そうですね。辛いという気持ちがわかるということを伝えることが大切だっていうのは当たり前で、みんなそうだと思うわけですよ。だけど、現実にそれが医療や看護の場で出来ているかっていうと、できてない。だから、感情や気持ちというものを、自分は少なくとも分かろうとしてここにいるんだということが伝わることがすごく大切なんです。それができるかできないかということが勝負ですね。


それができるようになるのにはどうすればいいでしょうか。

柏木先生:やっぱりね、まず頭の中で、それが大切だということを理解して、日常の医療や看護の場で、今日は感情の理解を中心にインタビューを進めるぞというふうな決断みたいなことをして、その場に臨むということですね。


もう死ぬと分かっている人たちと、これからまだ生きなきゃならない人とで、いろんな死に対する考えがあると思いますが、例えば、生きていても意味がないとか、死んだ方がましだという人に対するスピリチュアルケアは、どういう風にできるでしょうか。

柏木先生:何か言われた時に、「それって辛いですよね」って、本当に心を込めて言えるかどうかね。それはその人の年齢とか、背景とかによって、辛いという言葉が一番いい場合と、大阪だったら「ああ、それってしんどいね。」でもいいんです。ですから、どういう気持ちを持っておられるのか、それを言葉にすると、どういう言葉がいいのだろうかということをいつも考えながら話を聞いて、ここぞと思うときに、「それってしんどいね」、しんどいというのがピタッとくる人と、「辛い」がピタッとくる人とね。「それって重荷ですよね」っていう重荷という言葉が一番ぴったりくる場合と、その人の年齢、職業、今までの生活体験、全部総合的に、一番いい言葉っていうのは何だろうかということをいつも意識してインタビューに応じるということですね。
だから、こちらが本当に気持ちを理解したい、少しでも楽になってほしい、それをするのが私の仕事で、うまくできるかどうか分かりませんから、頑張りますけどねっていうような、全体の態度が伝わるかどうかということが一つの勝負なるんですね。


日本でスピリチュアルケアというと、何か怪しいもののように聞こえる人も多いかもしれませんが、日本人にその働きを理解してもらうために、難しかったことは何でしょうか。

柏木先生:一般の内科の先生はその辺のことはほとんど興味ないんですよ。だから、彼らの興味をどう引き出すかいうことが、一番の課題だったんですね。そして分かったことは、いくら言葉で言ってもダメなんです。患者さん自身が変化する、スピリチュアルケアということを意識的にした時に変わっていく、その変化を診ている一人の医者が「あれ、あの人変わったね」って思えたら力になるわけです。もちろんその時に、「それ見てみろ、スピリチュアルケアでこんなに変わるじゃないか、分かった?」っていうのではなくて、何も言わない。そういう言葉なり態度なりで変わっていくということを感じることができる、それで、時々向こうから訪ねてくるようになったら、申し上げてもいいですね。


そうやって患者さんが変わっていくことによって、病院でもそのケアを取り入れましょうという動きになっていったんですか。

柏木先生:そうですね。


どんなふうに患者さんは変わりましたか。

柏木先生:患者さん自身の変化はやっぱり全体的に落ち着きますね。大きな変化だと、やっぱり不安が少なくなる。それから、どんなことを言っても大丈夫なんだというふうに思ってもらえているという感じがわかる。

道子先生:信頼感ですね。日本には臨床宗教師という資格もありますね。病院のチャプレンはクリスチャンが多いんですけど、そこにはお坊さんも入っておられる。

柏木先生:いろんな、少しずつ専門性を異にする、しかし全体的には同じような考えを持っているグループがいっぱいできていますね。私自身が元気な頃にスタートさせたものが広がってはいるんですけど、いろんな、少し違う、同じようなやり方なんだけども、医師が中心になったり、ナースが中心になったり、ソーシャルワーカーが中心になったり、宗教家が中心になったり、ニュアンスが違うんですね。私も高齢になって、ちょっと病を負って新しい動きに対しては追いついてないんです。ですから、やっぱりどういうグループでどんな勉強をするかということが、かなり大切だと思うんですね。臨床心理っていうのはいいですよ。変な歪みを身につけない。

道子先生:私も心理学専門ですけど、心理学ってすごいバラエティーがあって、すごく科学的なものもあるけど、臨床心理学はやっぱり人間の心に接していますからね。スピリチュアルケアっていうのは臨床心理学でもすごく新しいものですよね。


クリスチャンじゃない人のスピリチュアルケアの捉え方と、あるいは何かの宗教を信じている人のスピリチュアルケアの捉え方は違うのかなと思いますが、その辺はどう棲み分けていたのでしょうか。

柏木先生:上手に分けるということでしょうね。あまり宗教、宗教しすぎると、一緒になかなか仕事ができない。でも宗教性を失ったら自分を失うことですから。私自身は精神科医としての自分と、クリスチャンとしての自分とのバランスをどうとって仕事をしていくかということはすごく大きな課題、今でも課題です。それをね、どういうのかな、私自身は上手にやってやろうというのを人生の目標にしてきたわけです。そして、それが非常に良かったんです。そのこと自体が仕事なんです。宗教性と心理性というか、学問性というか、それがうまく合体するとすごく大きな力になるということを、自分の人生の中で、自分の臨床含めてもそうですけど、それがうまくいくととても力になる。変な方に偏ると患者さんのためにならない。本人の必要を満たすだけになるんですね。

道子先生:一番難しいところじゃない?

柏木先生:一番難しい。言うのは簡単ですけど、現実は難しいと思う。


スピリチュアルケアの中に、信仰の部分が海外だと普通に取り入れられていると思うのですが、日本はそれはやらない方向で進んでいるのでしょうか。

柏木先生:そうですね。ただ、基本にそういうものがないと、やはり本当にいい意味での介入はなかなか難しいですよっていうのを知らせるのが一つの役割かなっていうふうには思いますけどね。


宗教性がベースにないといい介入はできないっていう。

柏木先生:これは非常に難しいですけど、サイコロジカルなことと、信仰をうまく統合させて仕事をしているということを周りに見せつける、というとちょっと言い方悪いですけど、そうか、そういうことをこの男は言っているんだなっていう、そういう見本みたいなものを日常の臨床の中で、私は見せつけると言っているんですね。患者さんが変わりますからね。例えば、ああ、今祈る時だっていう啓示みたいなのが来るわけですよ。そしたら一緒に仕事している連中が、「ええっ!」てびっくりするわけね。だけどそこで一生懸命祈っているとね、涙が出てくるんですね。今も話してたら涙が出てくる。そしたら患者さんがね、びっくりするわけですよ。この先生、私のために泣いてくれたって。でもそこからね、生きる姿勢がガラッと変わるようなことがあるわけです。魂に届いたわけです。そういう実践を見せていくという。よし、今日は見せるぞとか、そんなんじゃないんですよ。自然の流れの中でそういうことができていけばね、力になるんですね。


それまでの関係性ができているからですね。臨床の場面で祈るっていうことは時折されていたんですか。

柏木先生:そうですね。


その時、患者さんはどういう反応が多いですか。

柏木先生:自分が世話になっている医者がね、ちょっとお祈りしていいですかって言って、いや、祈るのやめてくださいって言った人は一人もいないです。もうやめてほしいと思った人もいるかもわからんけど(笑)。だけど少なくともはっきりね、やめてくださいって言った人はいません。ただ、必要だと思う人でないとそういうことはしませんけどね。しまった、あそこで祈らんといたらよかったって思った人はいない。だから、祈り倒すということは全然ない(笑)。「これは祈らんと」という祈りの波が来るわけですよ。「来た!」と思うんです。
回診の終わりに「Aさん、ちょっとお祈りしてもいいかな」って、私はだいたいそう言って、祈るのだけはやめてくださいって言った人は一人もいない。数万人の中でね。もちろん、祈りという言葉を出すこと自体が、その人のトラウマになるような人も時にはいますからね。変な祈りをされて、牧師につまずいてとかね。そういう人に祈りを出すのは、古傷を痛めるようなことですから。

道子先生:信頼感が前提ですね。この方との関係はすごく良好な魂に触れ合ってるという、何かそういうものを掴んでなかったら祈りはちょっと難しいでしょうね。


スピリチュアルケアと心理的ケアの区別が、いまいちよくわからないなと思っています。例えば、寄り添うとか、つらいことに共感する姿を示すみたいなことは心理的ケアでもあると思いますが、スピリチュアルケアとの違いってなんでしょうか。

柏木先生:こういうものがスピリチュアルで、こういうものがメンタルでとか、そんなに判然と分けることができるような代物ではなくて、わけわからなく混在している。それはそれでいいと思うんです。


信仰を持っている人と持っていない人では、アプローチも変わりますか。

柏木先生:どんな信仰かということですね。

道子先生:クリスチャンとしての悩みもあるじゃないですか。霊的な悩みでも人間関係の悩みでも、信者同士でこんな問題を抱えているんですよとか、家族の中でもこんな問題を抱えているんですよって、信仰を持っている人同士だったら言えるでしょうね。
だけどそうでなかったら、祈って解決するなんてそんな生っちょろいものではありませんっていう風に思われるかもしれない。祈りで解決するような問題を私は抱えているんじゃない、もっともっと深刻なんですよってね。そのあたりは微妙ですよね。だけどクリスチャンだったら、信仰を持っているがゆえの悩みもあるから、それをクリスチャンのカウンセラーが聞いてくださったら、私だったらすごく嬉しいなと思います。


頑張ります。(笑)

柏木先生:祈らせてくださいっていうこともやっぱりすごく慎重に出さないと。一緒に働いていた牧師が自分はこの仕事に向いてないと思って辞めたんですね。患者さんが、あの先生、とにかくややこしくなってきたらお祈りしましょうって(笑)そしたらこれで今日は終わりだなっていうのが患者さんはわかるわけです。

道子先生:そうなったら、あんまり良くないわね。

柏木先生:患者さんには分かる。お祈りが別れの言葉になるわけです(笑)まあ難しいけど奥深い、面白い分野だと僕は思っています。


これからの日本のスピリチュアルケアというのは、どうなっていって欲しいと思いますか。

柏木先生:分かる人は一人もいないと思います。わかりませんけど、変な方に行かないでほしい。効果があるかないかっていうのは、まあ、二の次言うたら変だけど、取り返しがつかんような、変な方向に行かないでほしい。新興宗教的なものですね。だけど、患者さんの運命を変えるような祈りもあるんです。


臨床している中でお祈りしてあげたり、チャプレンが入ったりとかで信仰を持つ方はいらっしゃるんですか?

柏木先生:ええ、病床洗礼はかなりありました。病床洗礼って嬉しいですねやっぱり。我々伝道部と言っているんですけど、牧師、伝道師、ホスピスケアに関わってくれている人たちが中心になって持っている祈り会があって、そういう会に,患者さんのご家族が継続的に参加しておられてね。洗礼を受けて、本当によかったですって言ってくれる人もいるし。その時は嬉しいですね。そういう話があると、みんなで「おお、やった!」ってね。まあ、そううまくいくことはそれほど多くないんですけど。でもね、時々そういうことが起こると嬉しいですね。


先生にとってのスピリチュアルケアとはどういうものでしょうか。

柏木先生:なんか、だんだんね、自分のためにしているようなというのが、非常に大きいですね。患者さんのため、ご家族のためっていうことでもちろんスタートしたんですけどね。それがずっと続けているうちに、これって自分を養う、自分を支える、自分を深める、自分を進歩させる、この仕事を続けさせてくれる力を与えてくれる、なんかそういうふうな、はじめはあんまり重視しなかった分野がだんだん主になってきた感じがしますね。
末期のケアの中でもいろんな大切な分野があって、どういう分野が最も大切だと思いますかと、時々インタビューなんかで聞かれますけど、躊躇なくやっぱり苦痛の緩和が大事でしょうと言います。体の苦痛ですね。
私自身が末期の癌でつらい状況になったとしたら、まず望むのは苦痛の緩和ですよ。苦痛の緩和ということがまずは大事になるんですけど、少なくともケアを提供しようとしているチームが、スピリチュアルペインっていうのは万人が共通して持っているものだという認識をしっかり持っているということです。それに対して適切な手当ができるかできないかは別ですけど、スピリチュアルペインという領域があって、極端に言えば、すべての人がスピリチュアルペインを持っているんだというふうに思っても間違いないぐらい、実存するものであるということを、ケアを担当するものは知っておく必要があるいうことだけは確かです。


それを知っているか知ってないかは、対応する者として大きいですね。

柏木先生:2500名ぐらい看取りました。2500名看取るとね、その中でモヤっとした本質みたいなものが浮かんでくる。やっぱりスピリチュアルペインというのは非常に大切なひとつですね。


2500人の方々の最期に共通していたものは何かありましたか?

柏木先生:最終的にはね、死にたくないという気持ちを持ち続けながら、ああ、もうしょうがないなって、だいたい皆んな思う。

道子先生:死の受容 (*)ですね。すごく平安に受容できる人と、諦めながら治療する方と、苦しみながら受け入れる方と、いろいろあると思う。クリスチャンはやっぱり神様の身元へと喜びをもって死を受け入れる。家族もみんなそれを認めて、「ああ、よかった」というふうにできる人はやっぱりいらっしゃる。お世話になりました、ありがとうございましたっていう気持ちで死を受け入れて召される方もある。いろんな身体的なしんどさを取るケアはされているから、平安な安らかな死だけど、魂の安らかな平安なのか、それは分かりません。もう医学的には手当てされているから、身体的には苦痛も痛みもないけど、魂の平安を持っているかどうかは大きな違いだと思います。(救われた)その姿を見たら、残された家族は全然違いますよね。「ああ、よかった」と、魂の平和を持って召された方を見ていた家族が次々と救いに入られることもありますから、それは本当にスピリチュアルケアの素晴らしいところですね。あんなふうに魂の平安を持って死ねるんだと。それはすごく大きな証だと思いますね。

その方だけでなく、ご家族みんなに広がっていく、素晴らしい証ですね。

*死の受容
死の現実を認め心で受け入れること。キューブラー=ロスの5段階モデル(否認・怒り・取引・抑うつ・受容)で説明される心理過程。


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