【東日本大震災:心のケア】それでも海に生かされて
2015年9月2日(火)女川町旧三小仮設住宅
東日本大震災で住民の1割近くが犠牲となった宮城県女川町。
月1回のペースで訪問している女川町旧三小仮設住宅には
津波によって家を流されたり、生死の境を体験したりした人たちがたくさんいます。
被災された方がその体験を自分の言葉で話することは
『辛く癒されない気持ち』を解決する有効な手段になります。
今回は参加者のお一人から、当時の記憶を聞くことができました。
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大きな地震の揺れから20~30分経った頃、濃い灰色をした山のような波が
猛烈な勢いで町を飲み込みました。
津波が濁流となって町に押し寄せ、地鳴りのような音と
家々がぶつかり合って壊れる「バリバリバリ」という不気味な音が
辺り一面に響き渡っています。
巨大な波に自分の住み慣れた家が飲み込まれていく様子を
ただ茫然と見ていることしかできませんでした。
家を流された人々は、避難所と指定されていた寺に集まり
そこで他地域からの避難者も含めて約200人の共同生活が始まりました。
避難生活から来るストレスから体の不調を訴えるお年寄りも多く
この緊急事態に避難所全体が大きな不安に包まれていました。
しかしその過酷な状況の中でも、避難者の人たちに生きる力となったものがありました。
それが、食糧として近くの海から水揚げされた牡蠣でした。
当時被災した各地の避難所では救援物資が届かず
わずかな食糧を分け合って飢えをしのいでいましたが
ここ女川町のお寺では、水揚げされた魚介類によって食べ物に困ることはありませんでした。
「海によって助けられた」と、当時の様子を振り返ります。
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女川町は津波によって甚大な被害を受けましたが
海がもたらした食糧によって助けられもした。
「海に生きる」女川の人々の強い意志を支えているのは
大きな痛みを被ってもなお「海の恵みに感謝する」心でした。
心のケア活動による月一回のお茶会は
この参加者の方にとっても自分の近況や体調などを自由に語り合える場となっています。
「今日も楽しかった。いっぱい笑いました。」と集会後に見せてくれた笑顔がとても印象的でした。
震災直後から比べると、被災地は少しずつ明るさを取り戻し、当時の様子を話してくれる人が増えてきました。
しかし心の奥底にはまだまだ震災の影響による拭い切れていない傷と負担があります。
少しでも被災地の皆さんの気持ちが満たされ、心がストレスから解放されるよう
オペレーションブレッシングジャパンはこれからも継続して交流の場を設けていきます。