【3・11から12年】心の病と傷を抱えてー若者のいまの心の叫びを聴く
12年前の3月11日、雪がちらつく寒い日に起きたあの日のことを覚えていますか。もうずいぶん前のことだから、住んでいる場所から遠いからと、忘れてしまっているという方もおられるかもしれません。しかし、あの日に起きた東日本大震災、そして原発事故の影響は、被災した福島の人々の暮らしにずっと影響を与え続けてます。それは、オペレーション・ブレッシング・ジャパンが福島復興支援に取り組み、かかわった被災者の方々の声から見えてきた、紛れもない事実です。
今回は、福島県にお住いの管野琴水(かんの ことみ)さん、森章汰(もり しょうた)さんにお話を伺いました。震災が暮らしに与えた影響、そこから来る心の傷や生きづらさ。若い世代が勇気をもって紡いでくれたメッセージを、オペレーション・ブレッシング・ジャパンが続ける復興コミュニティ支援とともにお届けします。
「今日も明日もあさってもつらい」統合感情失調症を抱えて
中学3年生の卒業式当日に被災した管野琴水さん。憧れだった高校生活は一変し、サテライト校での新学期の幕開けは不安とストレスと連続でした。生徒がぎゅうぎゅう詰めにされたバスでの長時間通学、スタートが遅れた授業を取り戻すための深夜までの猛勉強と、来る日も来る日も「まるでなにかに追い立てられてる」ような日々。
子どものころから心の不調を抱えていましたが、震災後の生活環境の激変により心身のバランスを崩し、統合感情失調症の診断を受けました。これは、統合失調症と気分障害(うつ病または双極性障害)ふたつの症状が現れる疾患です。「苦しい、悲しい、」自分の心からあふれ出す痛みを吐き出せず、時には自分の身体を傷つけることもありました。「いまもつらいならきっと明日も明後日もつらい。この悲しみをわかってくれるひとはいない」と、毎日が真っ暗なトンネルを歩いているようでした。
「弱さを共有できる場所に出会えた」ことのよろこび
そんな琴水さんがOBJのコミュニティカフェ、そしてスタッフとつながったことで、「弱音を吐いてもいいんだ」と思えるようになったと言います。良い点を取らなきゃいけない、みんなと同じようにちゃんとしなきゃいけない、それをできない自分には価値がないと、ずっと自分自身を責め続けてきた琴水さん。
悩みや生きづらさを共有していくなかで、「すべてを受け止めてくれる愛」みたいなものを感じたと話してくれました。現在彼女は、自分と同じく心の病で苦しむ子どもたちや同年代の人の力になりたいと、これまでの実体験を綴ったライティングを続けています。
震災で不安定な生活が続き「怒りや憎しみでしんどかった」
森章汰さんは、高校生の時に震災を経験しました。原発事故発生直後は、当時福島県からの避難者を受け入れていた群馬県の草津温泉に泊まり、1か月避難生活を送ることに。仕事、学校、住む家と突如としてこれまでの生活を失くしたショックと、慣れない環境での日常生活は、森さんとご家族に強いストレスを与え続けました。森さんも「自分も家族も一番しんどかった時期で、諦めたらどんだけ楽かと思った」と当時を振り返ります。
「なんでこんなことが、どうして僕をこんなふうに生んだんだ」と、両親を責め心が憎しみでいっぱいだった時もありました。
たくさんの人との出会いと対話を重ねて見えてきたもの
その後、オペレーション・ブレッシング・ジャパンとつながり、コミュニティスペースの学童保育ボランティアに加わるようになった森さん。コミュニティスペースには、海外からのボランティアチームやシニア世代など、さまざまな年代やバックグラウンドを持つ人が訪れるため、その出会いと交流が森さんの心を刺激しました。
これまでに出会ったことのない人達との交流や対話を通して、森さんは「自分も前に進もう」と思えるエネルギーをもらったと話してくれました。自分の境遇に対する憎しみや怒りも、感謝の気持ちへと変えられていきました。
「僕は決してひとりではない、と思えるようになりました。これからも自分にできることを、この場所(復興コミュニティスペース)を通してしてきたいと考えてます。」
これからの福島の未来のために
オペレーション・ブレッシング・ジャパンは震災から13年めも、原発事故による長期的な影響が残る被災地で、「苦難の連鎖を断ち切り、生きる希望を届ける」復興支援を継続しています。
どうぞ今の福島の姿を知り、皆様の祈りやご寄付でご協力ください。