【福島】「海を見たことがなかった」妃那ちゃんの成長ストーリー
オペレーション・ブレッシング・ジャパンの復興コミュニティスペース「ブレッシングルーム」が、今月開設2周年を迎えます。
東日本大震災によって、地震・津波・原発事故と3つの大災害に見舞われたここ福島県南相馬市。
そこに新たな交流とコミュニティを生み出す拠点を創ろうと誕生したのが、このブレッシングルームでした。
今回は、ブレッシングルームの学童保育に通っている木幡妃那(こはた ひな)ちゃん(9歳)のストーリーを紹介します。
震災が奪った自然のふれあい
東日本大震災によって、たくさんの子どもたちが自然の遊び場を失いました。
妃那ちゃんが生まれた南相馬市は、温暖な気候と穏やかな浜風が吹く自然豊かなまちです。
家から車を走らせて20分で着く海水浴場は、毎年多くの家族連れでにぎわい、ちょっと足を伸ばせば広々とした菜の花畑や土手が広がる、そんな場所に住んでいました。
そんな恵まれた自然とたわむれる時間を、妃那ちゃんにいっぱい与えてあげることが、母加代さんの願いでした。
しかし、原発事故によって状況は一変。公園や土手からは子ども達が消え、近所のあちこちにモニタリングポストが設置されるように。当時の様子を、加代さんは次のように振り返ります。
「見えない放射能から生まれたばかりの妃那を守るため、外遊びは一切しないと決めました。
本当は、野原でかけっこしたり、海をいっしょに見に行ったりしたかった。一番のびのび育ててあげたい時期に、たくさんの制限を強いることが本当に心苦しかったです。」
土にも外の空気にも怖くて触れさせられなかった加代さん。ひなちゃんが初めて土を触ったのは、それから3年後、幼稚園に入って砂遊びをした時です。
「北泉海岸」をはじめとする市内の海水浴場も長らく閉鎖され、「妃那が海を見たのは去年が初めて」だと加代さんが教えてくれました。それまでは、津波の被害と原発事故の影響があったからどうしても足が遠のいていたと言います。
外遊びを通じて、子どもは非常に多くのことを学びます。楽しく遊ぶためには、ルールを守らなければならないこと、周囲のお友達と協力し合う必要があること、我慢しなければならないこと…
幼い頃このような環境を持てなかったことで、未知のものに触れたり、何かをやり抜くといった経験ができなかったという加代さん。次第に妃那ちゃんは、新しいことに対して「やったことがないからやりたくない」と、消極的な姿勢を見せるようになっていきました。
未知の体験が盛りだくさんの居場所と出会って
そんな妃那ちゃんが、ブレッシングクラブに通うようになって2年。その驚くような変化を、加代さんは次のように教えてくれました。
「ここで学校も学年も違うこどもたちと出会いたくさん遊ぶことは、妃那にとって毎日が新しいことの連続でした。学校や家庭ともちがう環境で自分を表現することは、妃那にとって大きなチャレンジだったと思います。」
「でも、おかげで自分が「できない」と思っていたことが「できる」に変わる体験を、ここでたくさん積み重ねることができました。その証拠に、新しいことに対しても思い切って『やってみる』と言えるようになりました。
宿題の時間には、スタッフの人がわからないところを丁寧に教えてくれます。苦手だった割り算も、うんうん悩みながら最後にはできるようになりました。それがこの子の自信に繋がってると思います。」
4月から新しく始まった英語タイムにも積極的に参加している妃那ちゃん。
「英語って楽しい。もっと勉強したい!」と、自分が終わらせた宿題をいつもスタッフに駆け寄って見せてくれます。
「震災時は不安と迷いだらけの子育てでしたが、今ではこうして温かく妃那を見守ってくれる場所がある。ここで新しい世界を知り、臆せず様々なことに挑戦する妃那の成長が、私の何よりの喜びです。」
最後にスタッフから将来の夢を聞かれると、妃那ちゃんは「トリマーさんになりたい!」と元気よく答えてくれました。
今なお震災の影響が続く福島で、妃那ちゃんのように可能性と夢を広げ続ける子どもが大きく羽ばたいていけるように。
そして安心して子育てができる環境を整えられるように、オペレーション・ブレッシング・ジャパンはこれからも福島に根差し、コミュニティ支援に取り組んで参ります。
今年の4月、福島市に新しく「ふくしま子どもの心のケアセンター」が新設されました。震災から10年以降も、子どもへの長期的な心理面でのサポートが必要だと言われています。
継続して福島の次世代を担う子ども達を応援するため、皆様のご支援をよろしくお願いします。