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お米とメガネで希望を届ける

blog_110523_01宮城県気仙沼市ー避難所に暮らしているほとんどの被災者の皆さんは、政府により食物や水は支給されていると印象を受けます。しかし、突然宮城県で牧師をされている方から電話が入り、気仙沼市でお米と乾物が必要とのSOSが出ていると知らされました。そこで行動に出る事にしました。もうすでにお米生産者の方とは提携関係にあり、1.5トンのお米をすぐに、震災で壊滅的な被害を受け、人口7万人中1万人が政府の支給に頼っているこの漁港町に持って行く準備が出来ました。

お米を積んだトラックを持って行った事により、私たちにとって新たな機会が与えられ、次週にメガネクリニックをこちらで開くこととなり、さらに漁業関係の方々とどのような支援が出来るか会議を開くきっかけとなりました。

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今日は南三陸町の戸倉の方々に、二週間前に検眼して作ったメガネをお渡しする大事な一日でした。歓声をあげる方がたくさんおられ、中には「バッチリ!」や「最高!」などと言っている方たちもいました。
未だ彼らは避難所である体育館の固い床に布団を敷き、仮設住宅に移動出来るのを待っています。しかし、仕事がなければ仮設住宅に移動するのは悪夢のようなものです。仮設住宅では自らの光熱費や生活費を支払わなければなりません。多くの方は職場を流されたり、職場が津波により被害を受けたり、津波の影響で経営困難な状態のため職を失っています。そのため仮設住宅への移動を断り、食事と水が提供される避難所に居続ける選択をする家族もいます。

blog_110523_03 戸倉地区にメガネを午前中に届けた後、メガネクリニックチームは避難所になっている南三陸町沿岸にあるリゾートホテルに行きました。このホテルは南三陸湾を見下ろす高い崖の上にあります。しかし、このホテルの1・2階は海に近いところにあり、9mの津波に覆われてしまいました。

blog_110523_04南三陸町にある他の建物とは違い、このホテルは大きな損傷もなく、今では460人の新しい住まいとなり、このホテルの従業員で家をなくしてしまった方もここで暮らしています。南三陸町の水道源も塩水に浸水してしまい、復旧には6ヶ月かかるそうです。水の供給を保つためにホテルでは毎日80トンの水を大きなタンカーで届けてもらっています。ホテル支配人の一人は、これは実は必要な水の量の一部に過ぎないと説明していました。しかし、ペットボトルに入った飲料水を一人あたり1リットル届けてもらっているため、水の配給は軽減できるそうです。今日はツアー船の船長がメガネの検眼に訪れました。彼は船にメガネを忘れ、そのまま船は海に流されてしまいました。彼はメガネクリニックを開いていた事を聞き、とても喜んでいました。船を操縦するだけでなく、バスやトラックも運転しなければならないからです。ツアー船の仕事はなくしましたが、ホテルが所有している2tトラックで近隣の村に物資を運ぶボランティアを現在しています。仕事が戻るまでただ座って待っているよりはボランティアでも何かしていた方が良いと思い、今の活動をしているそうです。

blog_110523_05ホタテ加工工場で働いていた22歳の及川さんも、メガネを喜んでいる中の一人でした。彼は津波に持って行かれた車の中にメガネを忘れてしまい、家も職場も全て流されてしまいました。彼に残ったもの着ていた服でした。(それもダラス・カウボーイズのシャツでした!)メガネクリニックに来る皆さんの一人一人が津波から逃れた経験を持っています。そして皆さんは間一髪で津波を逃れたものの、全て所有していたものをなくしました。
私たちのしているクリニックは、ただ単にメガネをお作りしてお渡しするだけでなく、フレームを自分で選んだり、被災地への思いや、支援の気持ちを被災者の方に伝えられる場となっています。希望というのは様々な方法で届けられますが、私たちも被害に遭われた方々、そして地域の復興を目指して奮闘する皆さん一人一人のお手伝いが出来ればと思います。

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