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【東日本大震災:心のケア】人とのつながりが生きる力をくれた【宮城県登米市南方】

2015年7月16日(木)
この日訪れたのは、南方仮設住宅第2集会所。

【東日本大震災:心のケア】人とのつながりが生きる力をくれた【宮城県登米市南方】

【東日本大震災:心のケア】人とのつながりが生きる力をくれた【宮城県登米市南方】

体操で肩、首、腰、太ももなど身体全体のストレッチを行った後
童謡に合わせたリズム体操をチーム対抗で行いました。
歌に合わせて瞬時に振付を変えないといけないため、なかなか頭を使う運動です。
振付を間違えると、集会所にみなさんの笑い声が響きました。

【東日本大震災:心のケア】人とのつながりが生きる力をくれた【宮城県登米市南方】

体操の後のお茶会では、南三陸町志津川出身のお母さんからお話を伺うことができました。
お母さんは震災前、農家として野菜作りを生きがいに生活していました。
近所づきあいも盛んで、顔なじみのご近所さんと談笑するのが日課だったそうです。
東日本大震災の津波で家と畑を流され、さらに隣近所に住んでいた友人も亡くなりました。
その時のショックと喪失感は、今も拭うことができないほど大きなものだそうです。

「故郷に帰って、また農業がしたい」という思いを、強く抱いているお母さん。
仮設住宅の近くにある田畑を散歩しては、震災前の生活を懐かしんでいます。

楽しい近所づきあい、住み慣れた家、一生懸命耕した畑、そこで野菜を育てる喜びなど、多くの大切なものを失いました。
楽しかった志津川での暮らしと、今の仮設住宅での生活のギャップに葛藤しながら生活を送っています。

【東日本大震災:心のケア】人とのつながりが生きる力をくれた【宮城県登米市南方】

【東日本大震災:心のケア】人とのつながりが生きる力をくれた【宮城県登米市南方】

そんなお母さんを支えているのは、集会所でみんなとおしゃべりすることです。
仮設住宅に移り住んでからも頻繁にこの集会に参加して、たくさんのお茶友達ができました。
色々考えこんでしまうこともあるけれど、みんなとお話して笑ったりする時間が力になっているそうです。

オペレーション・ブレッシング・ジャパンの「心のケア活動」を通して生まれるひとときの笑顔が
これからの生活の希望に変わって行くように、続けて被災者の方々のための活動を行っていきます。

■東日本大震災 心のケア 支援の窓口
支援</p> <p>のお願い

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