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【東日本大震災6年】被災者から支援者へ 南相馬OBJスタッフより

今も鮮明に脳裏に焼き付いている、6年前のあの日。
地元福島県で、最悪の出来事が起きました。

東日本大震災の翌日、福島第一原発1号機が爆発。
そして事態は悪化の一途をたどり、14日には3号機が、そして15日には4号機が立て続けに水素爆発を起こしました。

当時私が通っていた神学校の修了式を目前に控えていた最中の事件でした。

【東日本大震災から6年】被災者から支援者へ
事故発生時は様々な情報が錯綜し、爆発によって具体的にどのような被害が出たのか、そしてどれほど危険性があるのかを把握するのは、不可能に近い状態でした。

宮城県にある神学校の女子寮に住んでいた私は、南相馬の実家の母から電話を受け、姉と福島を離れて親戚が住む山梨県へ避難すると告げられました。

「お父さんは?」
と尋ねる私に、母が緊迫した声で答えました。

「お父さんは犬を捨てて家を出ることはできないから、このまま福島に残る。」

【東日本大震災から6年】被災者から支援者へ
一家が離ればなれになることと、家に独りで残る父のことを思うと胸が痛みました。
母と姉は遠くの県に避難するからいいとして、福島にとどまる父は無事でいられるのか。

このまま残っていたら放射能で死んでしまうのではないかと、パニックになりました。

【東日本大震災から6年】被災者から支援者へ
今だからこそ、「それはいくらなんでも考え過ぎだ」と言うことができますが、当時は情報が交錯し、個人の判断で対処しなければならない急迫した状況にあったのです。

幸いなことに、状況を知った神学校の牧師先生のご厚意により、父を学校の寮へ避難させてもらえることになりました。
しかも飼っていた2匹の犬と、父の兄である叔父も一緒に。

「このままだとお父さん死んじゃうから、だから早くこっちに来て」
と、家を離れることを渋る父に泣きながら電話で懇願したのを、今でも覚えています。

父が犬と叔父を連れて学校にたどり着いたのは、雪がしんしんと降る夜7時頃でした。

【東日本大震災から6年】被災者から支援者へ
それから約一ヶ月間神学校でお世話になった父と叔父は、地元の放射線量が落ち着いた知らせを聞き、福島の南相馬に戻ることを決心しました。

そして、山梨から福島に戻ってきた母と姉と再会し、私は姉とともにしばらく学校の女子寮で避難生活を送ることになりました。

その時感謝だったことは、神学生の頃関わっていた近所の子どもたちと、続けて交わる機会が与えられたことです。

震災当時は、安心を求めてかよく近所の子どもたちが教会に立ち寄り、一緒に遊んでいきました。

震災は子どもたちにとって大きなストレスだったろうと思いますが、困難な状況のなか共に寄り添い、痛みや悲しみ、また喜びを共有することの大切さを、彼らが教えてくれました。

泣いて笑って多くの時間を共に過ごした子どもたちは、震災から6年がたった今でも、私にとってかけがえのない存在となっています。

【東日本大震災から6年】被災者から支援者へ
【東日本大震災から6年】被災者から支援者へ
私は震災から4年後、現在所属している国際NGO団体オペレーション・ブレッシング・ジャパンで働かせていただくことになりました。

「福島で生きる子どもたちが、心身ともに健やかに成長できるよう、微力ながら自分も力になりたい」と思ったのが、入職のきっかけでした。

震災から月日が経ったことで、当時の記憶が薄れていたり、震災を経験していない子どもも増えていますが、当時の出来事がきっかけで不登校になったり、生活環境の変化によってストレスにさらされている子どもたちが多くいることもまた事実です。

仕事を通して子どもたちと接する中で、同じ被災者だからこそわかる苦しみや痛み、心の傷があることを知りました。

【東日本大震災から6年】被災者から支援者へ
自分も被災し、一度は支援を受けた者として、今度は支える側になり、福島の子どもたちと未来をつなぐ小さな架け橋になりたいと思います。

【東日本大震災から6年】被災者から支援者へ
東日本大震災は、私自身にも傷やトラウマを残しましたが、当時の困難な状況の中で味わった恵みや喜びは、私に明日を生きる力をくれました。

石神
押釜
馬場
「互いを思いやる存在がいれば、どんな状況に置かれても、必ずそこに希望はある。」

そう信じながら、支援者として、福島県民として
オペレーション・ブレッシング・ジャパンから希望を発信していきたいと思います。


この文を書いたのは…

渡邉 恵(福島県南相馬在住)
OBJ広報活動と児童プログラムアシスタントとして活躍しています。
趣味はイラストを描くこと、Facebookの女の子のアイコンも制作しました!

■東日本大震災 支援の窓口
支援</p> <p>のお願い

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