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【ホロコーストからの生還】マヤさんの体験~イスラエルから

ホロコーストからの生還
ホロコーストから生還した多くのユダヤ人と同じく、人類の歴史上最も暗い時代を生き抜いたマヤさん。

第二次世界大戦が勃発した当時、マヤさんはまだ年端も行かぬ幼い子どもでした。
ソヴィエト連邦の厳格な規則の下、ジャーナリストとして働いていた彼女の父親は、戦争が開始すると同時に軍に入って戦うことを余儀なくされました。
そして間もなく、マヤさんは母親と共にゲットー(ユダヤ人強制居住区域)に拘束され、ナチス強制収容所が設けられると共に母親が収監されてしまいました。

幸いなことに、マヤさんは知り合いの親切なウクライナ人ヴァシリーさんによって引き取られました。
警察官であるヴァシリーさんは、妻との間に子どもがおらず、戦争が終わってマヤさんを家族のもとへ返すまでの期間、2歳の幼い彼女を匿おうと考えました。
しかし数か月後、何者かがドイツ当局に密告し、マヤさんがユダヤ人であるということを知られてしまいました。
当局はマヤさんをヴァシリーさんの手から取り上げ、母親がいる強制収容所へと送還してしまいました。

幼いマヤさんが置かれている過酷な状況を知った知人たちは、彼女を養子にはできないかと、全てを投げ出す覚悟で彼女を救おうとしました。
危険をおかして強制収容所を訪れたヴァシリーさんは、マヤさんをはじめとした何人かのユダヤ人が、病気にかかっていることをドイツ兵に告げました。
ドイツ当局は、病気の感染を恐れ、ヴァシリーさんが彼らを連れて帰ることを許可しました。

ヴァシリーさんは、乗ってきたボートに助け出したユダヤ人を匿いましたが、冬の到来によって彼らは身を切るような寒さに苦しみました。
最終的に、飛行機によって救出されたユダヤ人たちはモスクワへと移送され、マヤさんと母親は何とかその地で生き延びることができました。
しかし、ヴァシリーさんは、他のユダヤ人を助けている所をドイツ軍に目撃されてしまいました。
「しばらく経ってからドイツ人が来て、彼と奥さん、そして母親までも殺してしまったんです。」
マヤさんが悲痛な声で語ってくれました。

1992年、マヤさんとその家族はイスラエルへと移住しました。
現在、マヤさんと娘さんは心の病を抱えながら生活しています。
2人はイスラエル政府から支給されるわずかな収入を頼りに、生計を立てていくことに必死です。
請求書の支払いを済ませるか、それとも食料、もしくは必要な医療品を買うかで、マヤさんはしばしば頭を悩ませています。

戦時中、心優しい人々の手によって助け出されたユダヤ人の人々を、今度はオペレーション・ブレッシングが支えていこうとしています。
マヤさんのようなユダヤ人の生存者に、安定した生活と良質なケアを届けていくこと、それがオペレーション・ブレッシングの「ホロコースト被害者支援プログラム」です。
ホロコーストの生存者は高齢化が進んでおり、経済的困難に立たされている人も少なくありません。

しかし、皆さんの寄付とサポートによって、現在は必要な食料や医療ケア、さらには人と人とのふれあいの時間まで提供することができるようになりました。
ホロコーストからの生還
自分に与えられた数々のサポート、特に彼女と娘さんとOBIスタッフの3人で過ごす時間に、心から感謝しているというマヤさん。
「私たちは本当にどうしようもなく孤独でした。
誰かと会って話せるということが、何よりも有難いことだったんです。
こうして助けの手を差し伸べてもらえて、私たちは幸せです。
もちろん、私たちと同じような状況に立たされている生存者の人たちにとってもきっと、同じことでしょう。」

心に多くの傷を負いながら苦難の中に立たされている人々に、支援を通して希望と愛を届けていきたい。
その思いを胸に、オペレーション・ブレッシングはこれからもあらゆる地で活動を続けてまいります。

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