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他人の成功に嫉妬しないために!覚えておきたい大切なこと

※この記事はオペレーション・ブレッシング・ジャパンの母体であるCBN(Christian Broadcasting Network)のニュースを翻訳したものです。

よくあるシナリオです。あなたの大学時代の親友が、ちょうど婚約を発表し、あなたの同僚が昇進し、そしてあなたの隣人が新品フル装備のSUV車を購入しました。

あなたの最初の反応は、ねたみからくる苦しみですか?それは自己憐憫のような、「どうして私ではないのか?」というものでしょうか?もしくは、「私が欲しているものをちょうど自分の知り合いが手に入れたのは、公平ではない」という思いでしょうか。

これらの反応は、誰かの成功に対する適切な応答ではありません。正しい反応は、神から祝福を受けたその相手を心からお祝いするものです。
しかし、他の人のために、私たちが嬉しくなりたくない時もあります。実際には、私たちが十分に神から祝福を受けてきていないと思うがために、他の人の成功を、嫉妬心があるため、心から素直に祝えない、理にかなっていないと感じることがあるかもしれません。
私は長年、他人の成功に脅威を感じていました。それはその成功が(特に相手が私の目標と同様の場合)、私の成功の価値が下がると間違って信じ込んでいたためです。

私の仲間が、さほど努力もせず大学院で専攻した学問分野で、高給の仕事に就いているのはしゃくに障りました。私の知っている誰かが、私の代わりに教会で賛美のソロに選ばれたのも、腹立たしく感じました。
また、結婚には準備が整っていない、ふさわしくないと私が見なした人が、新しい相手を見つけ、神から祝福を受けているのも納得がいきませんでした。私は縁台に立ち上がり、叫びたかったのです。「ちょっと!あなたは私の夢を盗んだも同然だ!」と。

どんなに私が上手く行っていないかを思い起こさせるため、私は成功した人々と一緒にいたくありませんでした。私の過度に負けず嫌いの心は、「他の人は成功者で、私は失敗者だ」と結論を出したのです。そして素晴らしい成功を収めた相手は、私の敵になりました。私は、自分の自己評価をなだめるために、是が非でも彼等といるのを避けました。私は、あまりにも自分のねたみに縛られたため、他者の成功を祝福できなかったのです。

しかし、30年という長い期間をかけて(こんなに長い時間を費やしたのを認めるのは恥ずかしいものですが)、他人が神から祝福を受けるのは、必ずしも自分の祝福の価値がなくなるわけではないということを知ったのです。別の人の成功は、私が成功できないという意味ではないのです。
神が人を祝福する時、えこひいきをしているわけではないですから。

詩編5章12節に、「主よ、まことにあなたは正しい者を祝福し、大盾のようにいつくしみで覆って下さいます」と書いてあります。時期は私たちの予想通りではなくとも、私たちが考えるような祝福でなくとも神は私たちを祝福して下さいます。あなたはそれを信じますか?それは真実なのです。

実際、神はすでにあなたを祝福したと疑いなく言うことができます。家があり、車があり、食料品を買うお金があり、親しい友人が何人かいれば、あなたは神の祝福を受けているのです。
そして、これらのものがなくても、神を信仰しているのなら、「私たちは神の子どもです」(ヨハネの手紙第1 3章1節)、「私たちは贖いだされた」(詩編71章23節)、「私たちは、御国を受け継ぐ者になりました」(エペソ人への手紙1章11節)と聖書に書いてあるので、あなたは神の祝福を受けています。
エペソ人への手紙2章10節によると、「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えて下さいました」とあります。「私たちの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています」(ピリピ人への手紙1章6節)。その言葉の通りに、神からの祝福が保証されているのを知って、あなたや私は、自由に他の人の神の祝福を喜べるのです。

他人の成功をねたむのではなく喜ぶことは素晴らしい選択です。それだけではなく、自分自身を愛するように隣人を愛しなさいと聖書が指示するように、それは神が望まれる選択です。聖書はたびたびこの原理について言及しています(レビ記19章18節、ローマ人への手紙13章9節およびヤコブの手紙2章8節を参照)。ガラテヤ人への手紙5章14節で言っているように、「律法全体は、『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という1つのことばで全うされるのです」。それは大きな力を発揮します!

他の人を祝福することについて、行動を起こすのは簡単だと思うはずです。しかし、時には他の人のために喜ぶことに、困難が伴う時があります。それは、私たちが自分に対する執着心をなくすのを求められるからです。人間としての罪深い性質に死ぬことは、痛みを伴います。
しかし、神が神のご性質や神の道に私たちをよみがえらせていただくことは、真のいのちに繋がるのです!他の人を祝福するのを決めると、最初は違和感を感じるかもしれません。時には、他の人のために祝福の祈りをした後に、その人が本当に成功した場合、その祈りを取り消したい気持ちになることもあります。ねたみは、私たちの心を捉えようとしています。しかし、諦めないで下さい。ねたむ気持ちを悔い改めて、相手を祝福し続け、自分の悪い態度を神に取り扱ってもらいましょう。神に従っているので、神はそれを変えてくださいます。

この祝福の習慣について興味深いのは、私たちが一貫して行うと、私たち自身が神の祝福を得る結果になるのです。私たちの親友が、彼もしくは彼女のキャリアで成功しても、私たちは心からその興奮を共有できるのです。それは私たちの友人の勝利ではなく、私たちの勝利なのです。
私たちが、私たちの隣人が、金銭的な祝福を受けるよう祈り、神がそれらの祈りに答えて下さると、神の相手のための目的に自分が同調しているという喜びを心深くに感じ、微笑むことができます。
「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです」と聖書に書いてあります(ルカによる福音書6章38節)。

なので、心配することはありません。他の人の成功を喜び、あなたに注がれる神からの祝福に注目してください。

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