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【うつ病からの解放】救済を求めたシャロンの霊的な戦い

※この記事はオペレーション・ブレッシング・ジャパンの母体であるCBN(ChristianBroadcasting Network)のニュースを翻訳したものです。
※写真はイメージです


シャロン・フォーセット

病院の長い廊下を歩いていると、一歩進むごとに自分の一部が失われていくような気がしました。その突き当たりのドアを入るときには、自分の人生は永遠に変わってしまうのだと思いました。私は打ちひしがれ、混乱していました。こんなところで自分は何をしているのだろう?それは私が初めて精神科病棟に入院した日のことでした。自分が入院することになるとは思ってもみなかった病棟に。

私のそれまでの人生は順風満帆に見えたでしょう。子どもの頃は成績が良く、クラスのリーダー的な存在でした。大人になってからは教会活動に忙しく、歌を歌ったり、児童合唱団を率いたり、日曜学校で教えたり、さまざまな委員会に参加したりしていました。けれども充実した日々はいつしか終わっていて、気がつけばシャワーを浴びて服を着るのがやっとという状態になっていました。

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私は5歳のときにイエス様を救い主として迎え入れて以来、人生のほとんどをクリスチャンとして生きてきました。神様は私にティムという素晴らしい夫と2人の美しい娘を授けてくださいました。私がうつ病になっとき、ローレンは3歳半で、ジェンナは1歳になったばかりでした。傍目にはこれ以上ないほど恵まれた暮らしに見えたでしょうが、私の心は死ばかり願っていました。26歳のときのことです。

安らぎを渇望する

当時の私には、自分がなぜこんなにも絶望しているのか理解できませんでした。新しい1日の始まりが楽しみでなく、目覚めることを恐れていました。娘たちと遊びたいとも思わなくなりました。娘たちが遊んでいるのをソファーに横になって眺めるのが精一杯でした。以前は娘たちに語りかけ、物語を聞かせ、娘たちのおしゃべりに耳を傾けるのが大好きだったのに、娘たちの声を聞くだけでイライラするようになりました。話すことも、聞くことも、質問に答えることもしたくありませんでした。ただ1人になりたいと思っていました。

楽しんでいた趣味や活動にも興味がわかなくなりました。家からもベッドからも出たくありませんでした。ひたすら眠りたいと願っていました。できれば永遠に。

生きようとしてもがく日々

精神科病棟に入院したのは、私が自殺を考えていることを知った主治医の先生が、私を私自身から守る必要があると判断したからです。病棟の精神科医は私に抗うつ剤を処方し、夫には「奥さんは2週間もすれば元気になって退院できるでしょう」と言いました。私は8カ月間入院しましたが、それは最初の入院にすぎませんでした。

私はすぐに「人格障害を合併した大うつ病性障害」と診断されましたが、なかなか治癒には至りませんでした。それからの9年間、私はあらゆる治療を受けました。20種類の抗うつ剤を飲み、200回近い電気けいれん療法(ショック療法)を受けました。入院期間は80週間に及び、癒しを求めることが私の仕事になりました。

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人生は続く

うつ病は奇妙な病気です。重い病気を患う人の多くは、たとえ体が死に瀕していたとしても、魂は生きたいと願うものです。けれどもうつ病を患っていると、自分の魂はすでに死んでいるのに、体がそれを追いかけて墓場に行くのを拒んでいるだけのように感じるのです。

私は、自分の苦しみを終わらせたいという気持ちと、そんなことをすれば夫と娘たちにとてつもない苦しみや悲しみを残すことになるという思いの間で葛藤していました。けれども私が生きることを選択するのは、彼らにとっても楽なことではありませんでした。

娘たちは、母親が自分たちの世話をできないという現実に対処しなければなりませんでした。夫は、結婚生活に何の貢献もできないパートナーを背負うことになりました。夫は私の介護者となり、娘たちの母親と父親の両方の役割を担い、彼女たちが必要とする支えと愛情を与えようとしました。

終わりの始まり

何年経っても私のうつ病は治りませんでした。大きく開いた傷口に小さな絆創膏を貼ったように、血は流れつづけ、傷は癒えませんでした。9年間の治療の末に、私の診断は「難治性うつ病」に変わりました。治療をしても十分な効果が得られないうつ病という意味です。

私は途方に暮れました。治癒を探し求めた人生の10年近くが無駄になってしまったように思えたのです。夫や娘たちとの大切な時間は永遠に失われてしまいました。自分は妻としても、母としても、クリスチャンとしても失格だと思っていましたが、精神科の患者としても失格だったのかと落ち込みました。難治性うつ病の診断は死刑宣告のように響きました。

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主治医の先生は、長年にわたって最高の治療を施してくれました。メンタルヘルスの専門家である先生は、脳内化学物質や感情の治療を通じて私の体と心を治癒させようと、全力を尽くしてくれました。けれども私は、自分の存在の鍵である魂については本当には考えてもらっていないと感じるようになっていました。そこで牧師先生の助言を受けて、クリスチャン・カウンセラーのカウンセリングを受けはじめました。

ベリーズは、それまで私が話したどのカウンセラーやセラピストとも違っていました。「私はすべての答えを持っているわけではありませんが、主はそれを持っておられます」 と彼女は言いました。私たちは祈りを通じてカウンセリングのプロセスに主をお招きし、主は私に多くのことを教えてくださいました。

美しい真実

私のうつ病の原因は、生化学的なものでも感情的なものでもなく、霊的なものであることがわかりました。私は自分が長年、多くの嘘を信じてきたことを知りました。嘘は私の人格にも、私が選んだ生き方にも大きな影響を与えていました。最も有害な嘘の1つは、「自分は十分ではない」というものでした。私は幼い頃から、自分には欠陥があり、標準以下であり、劣っていると感じていました。私は、本当の自分がいかに価値のない人間であるかを人に悟られないようにしなければならないと思って生きてきました。自分の価値に対する健全な感覚を欠いていた私は、周囲の人の承認がないと自分に自信を持つことができず、演技をし、八方美人になり、完璧主義者になることによって賞賛を得ようとするようになりました。このような思考が高くつく依存になりました。私は26歳で燃え尽きてしまい、それ以上がんばり続けられなくなりました。

ある日の午後、ベリーズのオフィスにいると、傷つき疲れた私の魂に聖霊がそっと語りかけてくださいました。私はずっと自分は無価値な人間だと信じていましたが、聖霊はそれは違うと教えてくださったのです。シャロン・フォーセットは宇宙の創造主の作品であり、彼の似姿なのです。

私の仕事には何の意味もありませんでした。私の業績は重要ではありませんでした。私の価値を決めるのは、自分が誰で、何をしたかではなく、私が誰のものであるかなのです。そして私は王に愛されている子どもなのです!この真実を信じることで、私は変わりました。私はもう、人に認められようとして背伸びをすることはないでしょう。神様が私をどう思われるかがすべてであり、神様はありのままの私を愛してくださいます。私は自分の人生に神様の意図を見いだすことができました。

クリスチャン・カウンセリングを受ける前、私は治癒の希望をほとんど失い、この世での生活は終わりに近づいていると信じていました。けれども神様はこう囁かれました。

「小さきものよ、私にはあなたのための計画がある。希望に満ちた未来が!」と。

神様は「あなたが心を尽くして私を求めるなら、私を見いだすだろう……私はあなたを捕らわれの身から連れ戻す」(エレミヤ書29:13,14)

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と約束してくださいました。そこで私は、たえず神様の言葉を学び、神様の声に耳を傾け、祈ることで、神様を求めました。神様は約束を果たしてくださいました。クリスチャン・カウンセラーとの最初の面談から3カ月もしないうちに、私のうつ病は消えてなくなりました。私は精神科病棟に戻ることも、電気けいれん療法を受けることもなく、薬を飲むことも、精神科医による治療も必要なくなりました。6年経った今も、私は自由でいられます!

新しい人生

かつて私は、うつ病は人生の終わりだと思っていました。けれども今は、新たな輝かしい人生の始まりだったのだと思っています。塞ぎ込んでいたことで、周囲の世界から遠ざかり、自分自身と真摯に向き合う貴重な機会を得ることができました。自分などどうなってもいいと思ったことで、自分の中のこれまで探ったことのない領域を掘り下げ、重大な変化を起こすためのモチベーションを得ることができました。うつ病は自分で選んだものではありませんが、そのおかげで得られた祝福に感謝しています。自分がどのような存在で、どんなに価値があるかを理解し、神様との親密な関係を築き、神様が私を守り、導き、養ってくだるという強い信仰を持つことができました。

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クリスチャンテレビの司会者ウィラード・ティーセン氏はかつて、「神は、私たちの目には破壊のように見えるものを、私たちの絶対的な救いために用いられることがあります」と語っていました。私もそう信じます!私はうつ病を経験することで、間違った目的のために生きてきた人生や、乾いた過酷な土地での疲弊した暮らしから救い出され、喜びの花が咲き、平和の水が流れる新天地に連れてきていただきました。

苦しみに対する私の考え方は変わりました。痛みは嫌なものですが、クリスチャンの人生における痛みには目的があるのです。私たちが直面する困難は、時に乗り越えられないように思われるかもしれません。けれども神様に不可能なことはなく、神様が私たちのために用いられないものはないのです。私はそのことをよく知っています。

Copyright © 2005 Sharon L. Fawcett.
許可を得て使用。


book-001詳しくは著書「こころの解放」をご覧ください。
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