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【今月の人インタビュー】福島県南相馬市の接骨院・鍼灸院院長 冨澤利男さん

「人生は、ときになぜこんな不条理が許されるのか、希望はどこにあるのかと問いたくなる出来事が起こります。2011年の東日本大震災は、まさにその不条理が凝縮された状況でした。」
そう語るのは、福島県第一原発から30㎞圏内にある福島県南相馬市で、接骨院・鍼灸院を営む冨澤利男さん。オペレーション・ブレッシング・ジャパンが立ち上げた南相馬ゴスペルクワイアのメンバーでもあり、現在もテナーとして活躍しています。
冨澤さんは原発事故後、避難所の仮設テントで鍼灸治療を施すなど支援活動に奔走しました。そのなかで向き合わされた家族との問題と、そこから与えられた希望のストーリーについてご紹介します。

2011年3月11日、自宅で被災した冨澤さんは、大津波警報を受けて家族で山側へ避難。その2日後、原発事故により屋内避難指示が発令されました。当時娘さんが通っていた原町キリスト福音教会の方々が相馬教会に避難していると話を聞き、家にある食料や水、毛布などの物資を持って行きました。そして続報で告げられた、原発2回目の水素爆発。友人の好意を受け、山形へ避難することに。
避難中も、関東の友人たちと相馬および宮城県の山元町の避難所で鍼灸治療のボランティアとして活動しました。

「当時避難所には、冷たい床の上に薄い毛布を引いた状態で休んでいる人がたくさんいました。肩や腰痛、または不安で不眠症に悩んでいる方々が多く、自分の資格を活かせればと思ったんです。
治療を施している最中、想像を絶するような恐ろしい体験をした人の話を数え切れないほど聞きました。
津波に流されながら、なんとか流木にしがみついて助かった人、放射能に追われるようにしてバスで避難してきたという人。あの時は避難されている方全員が、心も体も疲弊しきっていました。」

避難先の山形では、近所のお店はどこも品薄状態が続き、なかなか生活用品が手に入らない状況でした。そこで支援物資をもってきてくれたのが、三女と親交のある牧師夫妻でした。
初対面にも関わらず、教会に足を運んだ際も温かく迎えてもらい、暖かい人柄に冨澤さんの心は不思議な気持ちに包まれました。
「三女の洗礼式で一度教会へ行ったことがありましたが、自分とは無関係の場所だと思っていました。」それは母の影響で仏教の新興宗教に入っており、(以前は)青年支部長もつとめるほどかかわりが深かったからです。

3/20(日曜日)導かれるように礼拝に出席。二日後の火曜日には、牧師と聖書の学びを開始し、その場でイエス・キリストを救い主と受け入れました。それは、「自分が罪人である」ことを十分承知していたからです。その背景には、病気の母について衝突していた父親との関係が存在していました。

病に倒れた母をめぐっての葛藤

2002年から頭痛と不眠症に悩まされるようになった母は、精神科への入退院を繰り返すようになり、薬も多量に摂取するようになりました。父に薬を減らしてもらうよう何度も説得したものの頑なに受け入れてもらえず、病状は悪化するばかり。しまいには介護する父や妻にも「来るな!帰れ!」と暴言を吐くようになり、冨澤さんと父との間の溝も深まっていきました。それでも冨澤さんは、介護のために実家と自宅を行き来する生活を続けました。その最中にあの大震災が襲い掛かったのです。

冨澤さんは5月に南相馬に戻ると、父を説得し、毎週車いすを押して母を礼拝へ連れていきました。牧師や教会の方に温かく迎えられ、薬への依存も減っていくように。そしてなんと1年後の2012年、震災からちょうど一年目の3月11日洗礼を受けたのです。当時81歳でした。
「薬物依存からもほぼ解放され、廃人のようだった母がまさに新しく生まれ変わりました。本当にうれしかったです」

そんな母も3年後には病状が悪化し、晩年は冨澤さんの自宅で介護していましたが、相変わらず父への暴言は消えませんでした。とにかく顔を見れば「帰れ!」と叫ぶばかり。それでも父は毎朝実家からやってきては母の様子を見ていました。
そんなある日、母の所にいた父が「ばあちゃんが、ばあちゃんが」号泣して駆け寄ってきました。なんと、母が父に感謝の言葉を伝えたというのです。「『じいちゃん、今までありがとう。あとどれくらい生きられるかわからないからいうけど、じいちゃんは優しかったな。ありがとう』と言ったのです。自分へ向けられた感謝の言葉に、父はただ涙を流していました。」

それから母は、同年7月に亡くなりました。その後、父もまた2018年に洗礼を受け、2年後に亡くなりましたが、母と同じお墓に入りたいという父の最後の希望もかないました。
死ぬまで自分が背負っていかなければと思っていた両親との関係の重荷。
石のように奥底に固まっていた頑なな心が溶かされるようでした。父が洗礼を受けてからやっと、きちんと父の顔を見て話が出来るようになったのです。
冨澤さんの心は聖霊に満たされ、穏やかな平安がありました。

震災、そして長年続いた父との軋轢。「神様なぜですか」と叫びたくなる瞬間が、震災から10年間何度もありました。それでも冨澤さんは、震災によって生まれた新しい出会いが、自分を励ましてくれたと語ります。その繋がりのひとつが、オペレーション・ブレッシング・ジャパン、そしてゴスペルクワイアの仲間でした。
冨澤さんは、4年前の南相馬ゴスペルクワイアの立ち上げ当初から参加してくださり、今ではいなくてはならないテナーの大黒柱となっています。

震災後結成されたOBJゴスペルクワイアのメンバー

「ゴスペルを通して、年代も背景も全くことなる人たちが出会い、同じ希望に向かって一緒に賛美することができる。これほどうれしいことはありません。英語はあんまり得意じゃないけど、歌詞にこめられたキリストの愛のメッセージが私たちの心を引き上げてくれる。妻も一緒にその輪に加われていることが、本当に感謝です。」
コロナ禍の影響でゴスペル教室はオンラインに切り替わりましたが、ここから生まれた繋がりを絶やすまいとオペレーション・ブレッシング・ジャパンは活動を続けています。

「オンラインになったことで南相馬という枠を超えて、遠くにいる人含め様々な人が参加できるようになりました。震災から10年が経った今も、ゴスペルを通して人と人とのつながりが生み出されている。築かれていく人間関係の営みがある。」それが大きな励ましであり、喜びであると、明るい笑顔で語ってくれた冨澤さん。
「自分にはどうしようもできない試練にぶつかった時、状況や人を恨むことは死に至る道です。キリストは世界中のだれよりも不条理な死を受け入れた。私たちも地上のすべての不条理にすべて納得して生きていくことはできないでしょう。しかし、地上の生活がすべてではない、永遠の世界があるのです。キリストと共に歩むとき、試練さえも益となることを知りました。それこそが私の希望です。」


【書籍案内 『スズメのコゼット ふくしまから』】

冨澤さんといっしょの写真に写っているのはスズメのコゼット。3年前、右目が見えず瀕死状態だったスズメを見つけ看病しました。それ以来、冨澤さんとコゼットはどこにいくのも一緒。そのエピソードを、絵本「すずめのコゼット ふくしまから」として刊行しました。一羽のスズメが与えてくれた希望のメッセージとは?

オペレーション・ブレッシング・ジャパンでは、福島でコミュニティを通じた復興支援活動に取り組んでいます。
私たちの活動は、多くの支援者の方々のご協力によって支えられています。いつも応援頂き心から感謝致します。
これからの10年に向けた働きを、共に支えていただければ幸いです。

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