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お米1.5tと物資の援助

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今日私は石巻市の港に立って、巨大な波が船を陸に押し上げ建物や家屋を壊した場所を見ました。私たちは最も被害を受けた被災地域での救援活動を続けていますが、震災による被害の状況は徐々に明らかになりつつあります。数十万人の津波の被災者の非難生活は2週目にはいり、彼らは寒い避難所で 限られた物資のもと過ごしています。これらの被災者が仮設住宅に移動するには何カ月もかかりそうです。先週、OBIチームは支援を必要とする町や避難所を探していました。私たちは被災地域に入って行く際、ワゴン車に積めるだけの物資を持っていきました。限られた量の資源にもかかわらず、2,500人の避難者に、生活に欠かせない食料、水、燃料を届けることができました。

現在、私たちはトラックで物資を運んでいますが、ここで重要になってくるのは運ぶ「量」です。今日、私たちは石巻市の避難所に特定の緊急物資4トンを納入しました。内容は、米、水、パン、果物、暖かい衣類、調理用ストーブ、ろうそく、缶詰食品等です。

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地元のボランティア・チームがテントの中に調理場を設営し、いくつかの避難所に配膳するための温かい食事を作っていました。石巻市だけで避難所は200あり、約15,000人が生活しています。ある避難所では自衛隊が私たちの荷下ろしを手伝ってくれ、凍てつくような寒さの中でしたので本当に助かりました。

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私たちは更に石巻市の総合病院を訪れました。そこでは多くの患者が出入りし、廊下にもベッドが並んでいました。多くの被災者が災害時にその薬を失い、全体的な緊急医療事態は安定している一方で、未治療の慢性疾患で苦しんでいる患者が増えています。私たちは、500人の患者と多くの職員のための食料と衛生用品を病院の地下に搬入しました。

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私たちは物資を届けた後、米農家の組合との会合を持つため、内陸部に向かいました。現在、被災地では店舗で食品を調達することはほぼ不可能です。米の需要はとても高く、それを入手できる唯一の方法は、直接農家に行くことでした。石巻市を出ると、ある水田には至る所に津波で運ばれてきた腐った魚が散乱している事に気づきました。水田は何キロも続いていました。ここの被災地は、日本でも最も肥沃な稲作平野の一つなのです。

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明日は、市長からOBIに特に要求のあった物資をお届けするためにし塩竈市に戻る予定です。市長は多くの人が震災時に衣類を全てを失ったため、衣類、特に下着や靴下が必要とされていることを私たちに語ってくれました。OBIは男性と女性の下着と靴下を数百づつ購入しました。更に明日は、米を乗せた最初のトラックを塩竈に走らせます。今日聞いたある報告によると、市内の一部では食物がかなり不足しているとの事なので、タイミング的にはちょうど良かったようです。一方、飲料水を積んだ4台の大型トラックが塩釜市や他の被害の大きい町へ水を配布するために北に向かっています。
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