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【意外に知らない?母の日の由来と秘められた意味】
今日は「母の日」です。日付は世界でさまざまですが、米国の「母の日」に由来する日本では、毎年5月第2日曜日がその日として祝われています。
私たちの生活に今やすっかり定着しましたが、その起源は今から遡ること109年前、1914年。そして、実はその日が定められたあとも、歴史的な大論争を巻き起こした経緯があるのです。
母の日の起源
母の日は、「マザリング・サンデイ(Mothering Sunday)」として知られるクリスチャンのお祭りがルーツにあります。
キリスト教暦のレント期間(イースターまでの6週間)の第4日曜日にお祝いされ、忠実なクリスチャンが母教会(自分が育った地元の教会)に帰省する特別な礼拝を指していました。
時の流れと共に、その日はより世俗的なお祝い事として形を変えてしまい、米国の「母の日」の創始者アンナ・ジャーヴィスは「商業的になりすぎた」と非難。カレンダーから母の日を取り除くことに、自身の人生の大部分を費やしました。
アンナの母アンは、南北戦争中に敵味方にかかわらず負傷した兵士を助ける活動に取り組んでいました。
まず初めに、衛生環境の改善と乳幼児の死亡率を下げるための働きとして、「母の仕事の日クラブ」を創設。当時は多産の家庭が多かったものの、麻疹や腸チフスなどの病気で亡くなる子も非常に多く存在していました。
1861年に南北戦争が始まると、アンがいたバージニア州西部は南北で対立し、63年にはウェストバージニア州として独立するなど、激戦地の1つとなりました。アンはあくまでも中立を宣言し、両軍の負傷者を支援するためにクラブを新設。
戦後は「母の友情の日」を作り、戦争で傷ついた兵士やその家族を癒やすための働きに取り組みました。
そして1905年、その年の5月第2日曜日でに72歳で亡くなりました。娘のアンナは、母アンの働きに敬意を表し、それぞれの家庭の母に純粋に感謝する記念日として、「母の日」の創設に力を入れました。
彼女は生涯独身で子どももいませんでしたが、彼女はこの日を「女性の名誉を称える国民的な祝日」にするために奮闘。毎年その日を記念するため、母の日国際協会も立ち上げました。
そして1914年、ウッドロー・ウイルソン大統領が母の日を5月の第2日曜日とするという宣言に署名し、彼女の努力はようやく実を結ぶことになったのです。
しかし、事態は思わぬ方向に進んでいくことになります。
母の日創設後の闘いと込められた意味
アンナの当初の考えは、母の名誉の印として白いカーネーションのバッジを身に着け、自分の母親のもとや教会を訪れることでした。
ですが、この運動が広がるにつれ、「母の日」が次第に商業的に利用されるようになりました。
この考えを気に入った花屋たちがこぞって花をイベントに持ち込むようになり、カーネーションの値段を上げる花屋も続出したのです。アンナは、商業的が蔓延したことに嫌悪感を抱き、人々が花やカードを買うのを止めさせる活動まで起こしました。
そして彼女の怒りは、母の日を米国のカレンダーから取り除くよう力を尽くすことに向き、自身のお金のほとんどを訴訟に使い果たしました。残念なことに、彼女は亡くくなる際も「母の日」を非難していたと言います。
月日は流れ、私たちはこの日を当たり前のようにお祝いするようになりました。世界中の母親が、子どもたちから電話やカード、ケーキなど、様々な贈り物を受け取ります。そして、もちろん「花」も…。カーネーションは、この日の定番として広く世間に定着しました。
明らかに、アンナは母の日を非難する闘いに敗れたのです。しかし、私たちはその伝統を愛し、母の名誉と働きを称えるこの日に感謝しています。たとえそれが商業的になりすぎていたとしても、花や教会は。依然として私たちの大切な部分のままです。
ぜひみなさんで母の日をお祝いしましょう。お母さんに花を贈って、あなたの愛を、日ごろの感謝の気持ちを伝えましょう。
※この記事は、オペレーション・ブレッシング・ジャパンの母体であるCBN(Christian Broadcasting Network)のニュースを翻訳したものです。
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