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【熊本地震から2年】あの時現場で起きていたこと

熊本、大分両県をはじめ九州全域を襲った熊本地震の発生から、今日で2年となります。
被災した熊本城(熊本市)ではようやく最上階の瓦ぶきが終わり、新たなしゃちほこの設置が始まりました。
復興の歩みが進んでいる被災地で、災害当時なにがあったのか。
オペレーション・ブレッシング被災地支援チームが訪れた熊本市内、益城町、そして阿蘇市を中心に、当時の支援現場の様子をお伝えします。

オペレーション・ブレッシング被災地支援チームは飲料、衛生用品、食品などを運ぶために福岡市内で物資を調達。
道路が裂け、たわんでいた益城町、家は傾き二つに割れ、アパートの1階部分はつぶれ、電柱が折れ、電線がぶら下がっていました。
余震で弱っていた家々の土台が、続く本震で完全に破壊されたのです。
【熊本大分地震1年】あの日、緊急支援の現場から
【熊本大分地震1年】あの日、緊急支援の現場から
私たちは避難所に支援物資を届けた後、孤立する被災者の要請に応えるため、SNSとWEBをモニターしていたOBJ仙台とOBJ福島のサポートを受けながら避難所となっている高校、保育園に必要な物資を届けました。
この記事は⇒ https://objapan.org/?p=18719

2016年4月25日 夜の7時近く
阿蘇郡西原村の避難所には300人を超える方々が避難していました。
会場で食糧支援した私たちに、皆さんから大きな拍手をいただき、東北からきた私たちの支援が避難所のみなさんの励ましになっていること教えてくれました。
【熊本大分地震1年】あの日、緊急支援の現場から
さらにオペレーション・ブレッシング・ジャパンは木山サテライト、コミサポひろしまの協力を得て、2016年8月中旬より益城町や熊本市内ほかの被災家屋の屋根の補修とブルーシート敷設をおこなってきました。
地震によって落ちた瓦の間から雨水が侵入し、家全体が大きな被害を受けている事態が発生していたからです。
屋根を作り直そうとしても長いところでは2年先まで予約で埋まっていると聞かされた住人もいる中で、大切な家を腐らせてしまうことがないように、一件一件ブルーシートで保護を行ないました。
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県などによると、2月末時点で仮設団地に入る被災者は9085人、みなし仮設は2万8557人。
東日本大震災では仮設とみなし仮設の割合は5対6で、熊本はみなし仮設の割合が高いのが特徴となっています。
みなし仮設の孤独死が16人に昇るなど、住民同士の交流の希薄化が問題となって現れています。

どの被災地も復興への険しい道のりを歩んでいる中で、私たちができることは何なのか。
まずは被災地に関心を持ち続けて欲しいということです。
その上で、個人によってできることは異なるので、自分が持っているスキル、リソース、ネットワークを使って被災地に何ができるのかを、一人ひとりが考え続けることが大切だと思います。

近い将来にはM9クラスの南海トラフ巨大地震の発生も予想されています。
いつ災害に巻き込まれるかわからない生活を送っている私たちだからこそ、被災地の取り組みに、そしてその場所で暮らしている人々に目を向け支えていくことが求められるのではないでしょうか。

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