【まとめレポート】塩竈市佐藤市長とOBJ代表ドナルド・トムソンを交えたパネルディスカッション
●第3回国連防災世界会議パブリック・フォーラム
塩竈市佐藤市長とOBJ代表ドナルド・トムソンを交えたパネルディスカッション
3/17(火)仙台市市民活動サポートセンターにて
テーマ『東日本大震災時における塩竈市とNGOとの連携』
-The Shiogama City and NGO Partnership-
<パネリスト>
塩竈市長 佐藤昭
オペレーション・ブレッシング・ジャパン代表理事 ドナルド・トムソン
宮城県漁業協同組合 塩釜浦戸東部支所運営委員会 委員長 内海光雄
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はじめに佐藤昭 塩釜市長に震災直後の塩竈市での対応などについてお伺いいたします。 塩竈市としても災害への備えはあったと思いますが、実際に東日本大震災が発生した直後はどういう状況でしたか?
(佐藤市長) 近い将来に宮城県沖を震源とする地震が発生するという想定のもと、学校施設の耐震補強工事や備蓄倉庫の整備を行ってきました。 私たちは、避難所への避難者を4200名と想定していましたが、実際には8800名もの市民が避難所へ押し寄せ、毛布と食料が不足しました。
こうした中、OBIは迅速に、本当に必要とするものを支援してくれました。 最初の段階は、食料や飲料水の支援。 次の段階では、発電機やパソコン、被災した方々のメガネを作って頂きました。
自立を促す段階では、離島の漁業生産者へ漁具や漁船、軽自動車などの支援を頂きました。
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塩竈市浦戸諸島での被災状況などについて内海光雄 運営委員長にお伺いいたします。 震災にあわれてどう感じられましたか?震災直後の状況とあわせてお願いいたします。
(内海運営委員長) 私の住む桂島では、地震発生後に8.5メートルの津波に襲われました。 いち早く高台に避難したために死者はでませんでしたが、太平洋に面した海水浴場側はノリ養殖を営む家や加工場の多くは一瞬にして破壊されました。 当然、イカダや浮き、ロープなどの養殖施設はすべて流出してしまいました。
じつは東日本大震災の一年前、2010年2月28日にチリ中部沿岸地震による津波が塩竈を襲い、この時もほとんどの養殖施設が大きな被害を受けたのです。
その後1年間かけ、せっかく復旧してきた矢先の被害であり、多くの漁業者仲間はもう漁業を辞めると嘆いていました。
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オペレーション・ブレッシング・ジャパンの支援活動についてドナルド・トムソン代表理事にお伺いいたします。 OBJの支援活動はどのようなコンセプトでおこない、またどのような特徴があるのでしょうか。
(トムソン代表理事) オペレーション・ブレッシング・ジャパンのコンセプトは災害後、なるべく24時間以内に現地に飛び込み、 必要とされる水、食料、医療、また子どものためのケアを実施することです。
その国によって違いますが、日本のような先進国の場合、自治体、企業、政府などによる基本的な支援が割りと早く行き届くので、 私たちは支援の手が及んでいない部分、そして、長期の復興のための支援に、早い段階から切り替えます。
オペレーション・ブレッシングの大切な考え方は、 英語でいうと『ASK. DON’T TELL…』つまり、『ASK』は、現地の人々からの声を聞いて、その要望に答えます。 『DON’T TELL』 は、 つまり、一方的に、これが必要でしょうから、提供しますということは一切しません。 また、これしか出来ないというメッセージも伝えません。
私たちが最初に入った沿岸部は、松島湾に位置する塩竈市でした。 まずは基本的な物資、(水、食料など)を持っていき、避難場で塩竈市の職員と面会し 物資を持って来ましたが、使えますかと尋ね、喜んで受け取ってくれました。
さらに、必要なものは何かと尋ねました。 そしてその要望に対する手配に力を入れました。 その時は水や、燃料、下着などが必要ということで、これも調達して届けました。 一つ現場に居て気がついたことは、 メガネがなく困っている人たちが居たということと、塩竈の管轄にある浦戸諸島が孤立状態で電気や水道もない、 また、カキ養殖などの施設が壊滅状態にあることに目を留めました。
そこで塩竈で、メガネの寄贈事業を始め、発電機の提供と、養殖用の資材の提供を市の職員と浦戸の漁協の皆さんと計画し始めたのです。
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佐藤市長にお聞きします。 国や地方自治体でも、災害救助や復旧に関する、様々な制度や予算があると思いますが、 これに対しオペレーション・ブレッシング・ジャパンのようなNPOの活動にはどんな特徴があり 実際に支援を受けてどのようにお感じになりましたか?
(佐藤市長) 災害救助法や災害対策基本法では、避難所や衣食住、学用品や医療、埋葬などの手当てについて述べられていますが、 あくまでも基本的なものが中心です。
また、東日本大震災に関しては、その後多くの制度が作られ、予算規模も莫大なものとなりましたが、 実際にそれを使えるようになったのは、平成24年の1月になってからで、スピード感に欠けたのです。
そんな時、避難所生活で笑顔を失いかけていた子供たちに、オペレーション・ブレッシングは一人一台の自転車をプレゼントしてくれました。 また、メガネ作成の支援などは、行政では行き届かないすばらしい支援です。
こうしたスピーディーな支援を頂いたため、浦戸の漁業復興は他の被災地よりかなり早かったといえます。
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内海光雄運営委員長にお聞きします。 震災の前年にはチリ沖地震での津波被害もあったようですが、2年続けて、そして今度は極めて大きな津波被害で、 漁業仲間は辞めようかと思っていたとも伺っております。 オペレーション・ブレッシング・ジャパンによる漁業者の支援を実際に受けてみて、どのように感じましたか?
(内海運営委員長) 震災後の早い段階で、オペレーション・ブレッシングのホランさんたちが島を訪れ、 被災の状況や必要としているものは何かなどについて聞いてくれました。
物資調達が困難な震災直後に、さっそく発電機とパソコン、プリンターを届けて頂き その後たて続けに大型の発電機や軽自動車が届けられて驚きました。
オペレーション・ブレッシングには、支援経験が豊富な内外のスタッフがいて、発電機は海外で調達したものでした。 国の補助を待つことなく、速やかに総額5千万円もの漁具の支援を受けたため、どこよりも早くウキやロープ、イカリなどを発注できました。
その後の漁具の品不足がおこったが、私たちはその前に調達でき、漁業を早く再開することができました。 2度の被災で、漁業を辞めるといっていた仲間が、いきいきとしてきたことが何よりもうれしかったのです。
今回の大震災での行政とNGOの連携を、災害時における支援活動のロールモデルとして知らしめてほしいと思います。
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トムソン代表理事にお聞きします。 オペレーション・ブレッシング・ジャパンの災害支援はまさに的確だと感じられますが、この活動を支えているのはどのようなものでしょうか?
(トムソン代表理事) OBは、新しいコミュニティに入る時に、まず、そこにいるリーダーと信頼関係を築きます。 そのリーダーの質によって、私たちの活動がうまくいくかどうかも決まります。
私たちは情熱を持って支援をし、約束したことを絶対に成す。 そして早めに実施することを肝に命じています。
塩竈市の場合、市の職員の皆さん、その災害本部の職員の皆さんといい関係を作ることができました。 私たちが必要していた情報や、島までの運搬手段などを手配してくれました。 また、私たちがやろうとしていることも、よく理解してくださり、躊躇せずに私たちと取組んでくれました。
今回、特に印象に残っているのは、塩竈市長の活動です。 初日に訪れた、避難所に佐藤市長がいました。 職員の方に『市長ですよ』と教えられ、住民を励ましていた長靴姿の市長に驚きました。 このような市長のリーダーシップがあって、市の職員もよく動いているのだなあと思いました。
私たちNGOの活動もこのように優秀な地元のリーダーの協力があってこそ実現できるものです。
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災害への備え、災害からの復旧復興には『自助、共助、公助』という考え方がありますが、 共助でもない、公助でもない、でもこれらでは埋められないものを埋めている『NPO・NGOの活躍』というものが いかに重要かということが、今日のお話しを聞いてわかりました。 本日は、みなさんありがとうございました。