【3年を経過して】南三陸町のフォトグラフ
東日本大震災から3年を経過して、普通の生活を取り戻しているところがある反面
今なお大きな爪痕が見える部分にも見えない部分にも残っている事を実感します。
今回、心のケアで南三陸町に立ち寄った際に写真におさめてくることができました。
2014年6月8日 日曜日・・そんな町のフォトグラフをみなさんと共有したいと思います。
津波が襲来している中、最後まで防災無線で避難を呼びかけていた女性職員を含め43名の方がこの防災対策庁舎で亡くなられています。
3階建ての庁舎の屋上から更に2mも上回る巨大な津波に襲われ、鉄骨を残すだけの無残な姿になりました。屋上に避難していた30名は津波が引いた後、10名にまで減っていたそうです。
地震とともに起きるおそれのある津波災害から県民の貴重な生命・財産を守るため,宮城県では防潮水門において、設備の耐震化・老朽化対策・ゲート開閉速度の改善を実施していたそうですが、東日本大震災では予想をはるかに上回る高さの津波が押し寄せ水門が閉まった状態のまま破壊されました。
全国のサポーターや、個人の方から寄贈されたフラッグがはためく伊里福幸市場。
かつてこの場所には伊里前商店街が形成されていましたが、津波に全て流されてしまい商店街は存続の危機に迫られていたそうです。しかし、この場所で商売を再開したいという店主の方々の強い想いから2011年12月18日にオープンした商店街です。この日も雨の中、全国から寄せられた沢山のフラッグが力強く、なびいていました。
南三陸の道路を走行中に見つけたガソリンスタンド入り口の看板。
「津波のバカ!でも、がんばっぺ!!」「ものは流れても心までは流れません」
被災者の方の自然に対する怒りと故郷に対する想いがストレートに伝わってきます。
今の南三陸町の景色をお伝えしながら・・まだまだ続く復興への一歩一歩をかみしめました。
写真をご覧になってどんなお気持ちをもたれましたか?
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