【東日本大震災:心のケア】女川 語りはじめた震災のこと
10月22日(木)女川町 小屋取仮設談話室にて
「今日は、デイケアの日だからおばあちゃんたちはいないよー。」
毎回参加してくれているお母さんが元気に入ってきて言いました。
「係の人に曜日を代えてもらえないか聞いたていたけどね。変更できなかったんだね。」
お母さんたちは、オペレーション・ブレッシングが開催する、この集まりを楽しみにしてくれています。
女川町の小屋取地区は目の前がすぐ海で、女川原発がすぐそこに見える場所でもあります。
大震災の日、小屋取地区には女川中心部より早い時間に津波が到達。
津波の第1波で流されて来た知り合いを数人がかりで引き上げたり、
ずぶ濡れの人のために洋服を持ち寄ったりしていたそうです。
お母さんは大津波警報が発令されたので高台に避難しました。
家は流されたもののご自身は濡れる事なく逃げることができました。
しかし、朝から船で沖に出ていたご主人と再会できたのは、地震から3日程経ってからでした。
海上で津波に遭遇し、三日の間漂流したご主人ですが
家族と再開した後、海上での様子についてご主人が多く語ることはなかったのだそうです。
そのご主人が、震災当日のことを少しずつ話し始めたのは昨年の夏頃のこと。
「津波の中から助けを求める人や声やが今も脳裏に焼き付いて離れない。」
ご主人は、沖で動けなくなっていた小さな船と乗員を
自分の船で引っ張りながら戻ってこられたのだそうです。
「自分一人では何もできなかった。」
ずっと、自分を責め苦しんでいたことを思うと胸が締め付けられました。
それぞれが消す事の出来ない記憶を抱え、それでも「復興」していかなければなりません。
せめて、声にできない思いを話してもらえるよう支援を続けていきます。