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アイ・クリニックで視力回復

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宮城県塩竈市にて 来日したビル・ホラン代表と

宮城県黒川郡大衡村にてー 日暮れから約一時間、このブログを書こうと思っていたら、家が揺れ始めました。地中奥深くから伝わる見えない力で大地が震え、私のベッドは約10秒間前後左右に揺れました。それは不安に満ちた経験であり、頭ではただの余震だと分かっているつもりでも、もしかしたら大きな地震になるかもしれないという恐怖が私の脳裏をかすめ、避難しようという思いに一瞬かれらました。

現在の日本での生活はそのようなものなのです。 私たちは昨夜東京から車で移動してきました。移動しながら、デビッドは私がアメリカから持ってきた新しいガイガーカウンターで放射線値を測定しました。ワゴン車の内部は50という数値で、デビッドによると全く問題ないとのこと。 数時間運転した後、我々は給油のために福島の北西のサービスエリアで停車しました。そこは事故を起こした原子炉から少なくとも160キロは離れた所でしたが、デビッドがワゴン車から出るとガイガーカウンターが機関銃のような音を発し始めました。測定値は300に急上昇し、デビッドは心配そうな表情で言いました、「これはまずい。」サービスエリアは、あらゆる意味で通常と全く変わったところはなく、明るい照明が灯り、冷たいドリンクやスナックを手にした人々が店の中から流れ出ていました。空は澄んでおり、空気は氷のように冷たかったのですが、放射線は確かにそこにあったのです。しかしそれは臭いもなく、目には見えませんでした。

私は今これをベッドで書いています。部屋にある机に座っていると寒すぎるからです。泊まっている家の中の唯一の暖房は、隣の部屋にある薪ストーブ。燃料が足りないという事は、文字で読むのと、実際に体験するのとでは全く違います。隣の部屋ではチームのメンバーが、塩竃市で開催したアイ・クリニックで私たちが過ごした信じられないような一日の話をしているのが聞こえます。

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今日は100名がアイ・クリニックに来てくれました。79名が新しいフレームを選び、目の診察と視力検査を受けました。
来週、処方された度付きレンズの入った新しい眼鏡をお渡しする予定です。
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残る21名は老眼鏡が必要でしたので、その場で新しいメガネを持って帰りました。
私たちはその日、被災地の皆さんや地元のメディアが、被災地で新しいメガネを提供するアイディアを見知らぬアメリカ人が思いついたと驚いているのを何度も何度も聞きました。
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私たちはアイ・クリニックを去った後、トラックとともに郊外に向かいました。そしてそこで、毎回1650キロの米を買っている稲作農家を訪問しました。
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農家のご主人は、息子さんと娘さんと一緒に、我々のトラックに30キロの米の袋を積み込むのを手伝ってくれ、その後で夕食を食べていくようお誘をいただきました。ご主人は妻もそのつもりで食事を作っているから、と言ってくださり、私たちは寒くて空腹だったため、彼に感謝し、喜んでその招待に応じました。我々は靴を脱ぎ、先祖が300年前に建てたという家に入ると、ご主人がこの家は多くの地震を耐え抜いて来たと説明してくれました。
こたつが初体験だった私たち外国人に、ご主人は下にヒーターがあると説明し、足が温まる事を教えてくれました。初めてのこたつは非常に居心地が良く、私はこのような親切な人々の家に迎え入れられた事をとても光栄に感じました。
夕食はご飯、牛肉とキノコの炒め物、それにいくつかの野菜のおかずでした。とても美味しかったです。米はつやつやとした光沢があり香りに溢れていました。私が今まで食べた米の中でも最高に美味しかったです。

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